ちょっと重たい話かも?♡♡
「生きていたい」っていう感情がある意味煩悩という仮説が立てられるかもしれない 「生存本能」であると同時に「願望」の一つという考え方であれば「生きたい」と思うのも煩悩なワケで それに対して「流れに任せていいや」と感じたらそれはある意味悟りに近づく…的な?
2年前くらいから「絶対にいきていたい」と感じなくなった、そう感じるにはあまりにも私の周りでは死んだ人・生き物が多すぎて、あの世に行っても知り合いがいるという感覚がある種の安心感を生んだのだろうか? 私にとって死とはただの「クラス替え」であって、この世にいる人とはしばらく会えなくなるけど、それはあの世に行ってしまった人との再会も意味する
死んだからと言って特に何かが変化する訳でもないと知っているのもあるかもしれない 死んでも叔母は叔母のまま、価値観も主張も嗜好も見た目も叔母のままだった 叔母の家からお祓いをせずにテレビを持ち出し、叔母の意思を家電の誤動作から感じ取ったあの日から 私は死んでもその人がその人のままであることを理解している
この世で出会った人とも死んだからと言って会えなくなる訳ではない 死ぬ時に再会できるし、そこまで待たなくても夢枕で会えるかもしれない であれば、悲観することなんてないのだ もし貴方にとって死が怖いものであるなら、それは貴方の傍に最愛の人が居るからだと思う
私には私のことを引き止める伴侶のような人はおらず、また私もそれでいいと思っている 私は雲のように流動的な存在である方が自然なのだろうと思うから 誰とも長続きしないのはきっとそういうことで、私は誰かのものになるより、掴みどころのないある種地に足ついてない存在であることが本懐なのだと
貴方は死が怖いですか? それは誰かと会えなくなるからですか? それは何かを失うのが怖いからですか? 人生の本質とはそこにあるのかもしれないですね
普段何考えてるの?って聞かれるとすごい困るけど割とぬぼーっとこんなこと考えてることが多いです♡笑 哲学とか好きなのかな?と思うけどあんま人の哲学とか興味なくて自分についてのことを自問自答していることの方がおおい(^^;
生きている限り恥じぬ姿で歩き続けるだけですが、死んだ私はどうなるのでしょうか? 私は、私は私のままだと思うなあ
ではでは、18時からお会いできたら嬉しいです♡♡
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