映画解説動画みたよ!ネタバレ
ロバート・デ・ニーロが主演の奥さんがバスタブで自殺をした夜中の2:06に嫌がらせのようにトラウマをこみあげさせるような自殺再現の演出がおこり、小さな娘の凶暴化に悩む精神科医のお話
ネタバレ含むかもしれませんが これは、番宣が気持ちわるくて映画館に通っている時期でしたが見ませんでした
でも解説を見てみたら思ってたんと違う
チャーリーという娘の友達が悪さのレベルを増していくのですが父親はチャーリーを見たことがなくチャーリーとは、イマジナリーフレンドであり、娘の解離なのか、実在の人物なのかと本筋のミステリーになっていきます
結果的にはお父さんの人格がチャーリーだったというオチでヘッドホンをつけて仕事(娘の観察日記をかく)をしていると思ってた時間は自分が生んだ解離の活動時間で実際には日記を書いてなかったというのが解離の証拠になるのですが、わたしが考察したいのは、チャーリーという名前は、アルファ、ベータ、チャーリーでおよそ第三の人格だと示唆されているわけです では、第二の人格の描写や特徴は何だったのかという考察が必要です そして物語ではそこに触れていません チャーリーとは主人公が妻の不倫を目撃し帰宅後にバスタブで自殺に見せかけて殺害を隠蔽。そのすべてを目撃してしまった娘が性格が変わってしまったように思えて主人格は心底心配し娘によりそうのだが娘の解離のチャーリーが自分を苦しめてくると思っているということです。 かくれんぼというタイトルは生前の母親と娘の幸せな思いでのひとつにかくれんぼがあったというエピソードなのですが 第二の人格があるとすれば娘かもしれません 娘の狂暴性はチャーリーという父親の解離の仕業として片付けられない部分が沢山あります タイトルは和名だとしてもかくれんぼから憶測するに親子で解離を生んでしまい、おたがいに憎しみをぶつけていたのかもしれません 幼い娘は父親の狂暴性のある独占欲の強いチャーリーという人格と友達であると話ながら全ての悪行をチャーリーに擦り付けるぐらい強い人格が生まれていたのかもしれません。なぜならチャーリーは二度、殺人を隠蔽した風呂場に脅迫文を書きます。そして娘はチャーリーがやったといいます。チャーリーはわざわざ自分だけをターゲットにして苦しめることをしないと思うのです。そして父親の主人格が翻弄されているとき娘は父親の人格が割れていて名前がありそれを区別して父親に弁明までしてるわけですから。
チャーリーがやった。と。
整理すると、ハイドアンドシークのミステリーは優しい父親ロバート・デ・ニーロが妻の不倫を目撃することで押さえていた独占欲が爆発して妻を殺すという身勝手なチャーリーという人格を産みます。そしてそれを隠蔽していた父親を目撃した娘は対抗するために強い人格を生んだのだとおもいます。
キリスト教を検索してみたら2:06はクリスチャンであればキリストのように生きなさいというところであって
罪を犯していないと主張するより、素直に罪を認めて告白することが神様に喜ばれることです。
という教えだそうです
懺悔の勧めですね
罪悪感
善人な主人公は罪悪感で人格をモンスターに増幅させたのかもしれません
精神を安定させることと感情に流されるままドラマチックに過ごすことは相反することです
ですが、カバラでは感情の振り幅を最大に広げることを敢えて演出します それは、生きることそのものだという捉え方と、他者の気持ちと共鳴する幅を広げるという意味があると思います
共感羞恥ヘキサゴンスタイルとおそまつくんも歌っています
懺悔って羞恥心を乗り越える意味もあるんですね
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