2025/8/15 19:33
80年

8月15日 終戦から、今日で80年の歳月が経ちました。
80年前、犠牲者となった方々へ心から追悼の意を捧げます。
「戦争」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか? 空から落ちてくる爆弾、戦地に赴く若き兵士、逃げ惑う人々…
そのどれもが私達の想像でしかないけれど、そのどれもが現実に起きていたのです。
毎年、終戦記念日にはこうして戦争に関する日記を書いています。 また、ご贔屓の方に時折お話ししている事ですが、私の祖父は第二次世界大戦の折、満州に出兵しました。
見知らぬ土地で何度も死を覚悟し、実際に大怪我もしたそうです。 ジャングルの中を行軍しながら、休憩を取り出発するたびにその場から動けなくなる同胞。
「次は自分かもしれない」
「自分の番はいつなんだ」
死の恐怖に怯えながらも、ひたすら道なき道を歩いた、と。
やがて仲間とはぐれてしまい、飲み水も無く本当に死を覚悟した時、突然大雨が降り、空っぽの水筒が満たされたそうです。 空を見上げると虹がかかっていて、若かりし頃の祖父はその虹を見て、「こんな所でしねない、絶対に日本に帰るんだ」と決意したのだとか。
祖父は私にとって、「優しいおじいちゃん」でした。 朗らかで、肝がすわっていて、何故かケンタッキーが好きなおじいちゃん。
そんな祖父でしたが、戦時中は人の命を奪った事もあったでしょう。 もしも今祖父が存命だったとして、人の命を奪えば罪に問われます。
けれど戦時中は違います。
こんなに恐ろしい事があるのでしょうか? 人が人の命を奪う事が「正義」だとされるのです。
そんな世は狂っています。
「正義」と「平和」は似て非なるものだと感じます。
「正義」の裏には必ず「悪」が潜みます。
アメリカが正義なら、敗戦国である日本は悪なのでしょうか? もちろん、違います。
「平和」とは、数多の人々の安心と、笑顔が礎となって初めて成立します。 平和の裏には、「悪」など存在しないのです。
何故なら不要だから。
でも「正義」は「悪」を必要とします。
もちろん世の中に「悪」は存在しますが、そもそも存在するべきではありません。
「正義」では悪を消し去る事は出来ないけれど、「平和」は悪を消し去る事が出来ると、私はそう信じています。
戦後80年、当10歳だった方は、90歳になられます。 あと20年もすれば、当時をよく知る方は誰1人としていないでしょう。
そうなった時、日本に平和はあるのでしょうか。
「歴史は繰り返す」 当時を知らない人が、同じ過ちを繰り返す事をそう呼ぶのかもしれません。
新しき 光に生きん おさな子の 幸を祈りて 我は散らなむ
ある特攻隊員が詠んだ歌です。
新しい光の中で生きる幼い子の幸せを祈って、自分は命を散らすのだ、と。
自分の人生は潰えても、新しい世代の幸せを願う心。 子供達が生きる未来を、自分が絶対に守り抜くという強い意志。
どれほどの命が、こうして散っていったのでしょうか。
私達が生きる現代は、先人達が命を散らして作られたものです。
そうやって生かされている私達、今の人生に感謝できているでしょうか? 食べる物、着る物、住む場所…
そうしたものを有難いと感じる心を、忘れていないと言い切れるでしょうか?
「正義」など、人の命の重さに比べたら何の価値も無いものです。
正義をも凌駕する命を持っている私達。 そんな私達が、今は私達なりのやり方で平和を守らなくてはなりません。
それが、80年前に日本の未来を信じて散って行った方々への弔いなのだと思います。
戦火に消えて行った数多の命に顔向け出来ない社会は、決して許してはいけないのです。
未来を信じて守り抜いた先人達のように、私達も今の日本を守れますように。
戦後80年、「君が代」の歌詞にあるように、千代に八千代に、今の平和が続く事を願っています。 |